クソログ

強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない

愛されたいがゆえに愛されないという皮肉

本来、愛されるための手段は、自分のことではなく、相手の幸福・利益・立場を考えることであるが、相手を愛していると言いながら、客観的に見れば、相手ではなく自分こそを一番先に愛するのが人間であり、相手はその自己愛を満たすための存在となっている。そして、誰しもこういった側面があるが、その度合いが強いと、愛されたいのに、嫌われる行動をとることになりやすい。
愛されたい、と思う余り、自分に都合のいい解釈をしたり、逆に嫌われる結果となる行動をとり、思いのままにならないと攻撃してしまうのだ。

愛される手段は、相手の幸福を考えること(相手を愛すること)だが、自分こそを愛し、相手は自己愛を満たす手段のために、それができない。では、愛されることを望みながらも嫌われる行動をとらずに、愛される行動をとるためには、どうしたらいいのか。これを突き詰めると、愛されない苦しみ、寂しさに耐えられる人ほど、そうできるという、ある意味で、残酷な事実があることが分かる。
しかし、この残酷な事実と同時に、救いもある。なぜならば、これは、自分だけの苦しみ・試練なのではなく、世界の多くの人の苦しみ・試練であって、その意味で、貴方は決して孤独ではなく、多くの人と確かに繋がっているからである。

孤独は人の最大の苦しみとも言う。特に最愛の人を失う悲しみ・寂しさ・孤独はそうだろう。しかし自分がそうなった時も、同時に世界の無数の人が同じ苦しみの中にある。
そして、もしその苦しみを分かち合おうとする心を持てるならば、苦しみ・孤独は自然と解けていく。