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愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

人は皆、生まれながらにして死刑囚

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人は人生を与えられるが、その地球という空間の中で必ず死ななくてはならない。死の無い世界に行くことができない。したがって、すべての日本人は地球、日本の中にいる死刑囚である。人は皆、死刑囚である。生きるということは緩慢な死である。拘置所にいる死刑囚はある日突然、死刑の執行を告げられる。一方、死刑囚ではない日本人は日本という国の拘置所にいて、ある日病院という拘置所の中で、医者と呼ばれる刑務官に「3か月くらい、いや一週間もてば」と言われ、死を迎えるのだとするならば、死刑囚と何程の違いがあるというのだろう。
人は皆、最期は地球、日本、病院という拘置所の中にいて、医師という刑務官に「もうそろそろだよ。覚悟しなさい。」と告げられる死刑囚と解釈することもできるのである。このようにして、多くの人が死んでいくこと、多くの人が終わっていくことと自分自身が結びつくと、自他の区別をしたり、自己特別視をしたり、根拠のない自我に対する執着が弱まっていく。

未だにこの世界には、我欲の追求という考えが根強く残っていて、「人生夢の如し」という意識は死ぬ間際にしか得られない。
最先端の技術を扱う人たち、例えばスティーブ・ジョブズは死の間際に残したメッセージに「お金はこの後持っていけるものじゃない」「お金は生きていく分だけ稼いだら、あとは時間やエネルギーをもっと別のことに使うべきだった」といったものがある。呻るほどの富を築いた彼もまた、死の間際になって人生は長い夢のようなものだと気づいたのである。

なぜ、人は死の間際にならなければ人生が夢の如しだということに気づけないのだろうか。
それは人は自分というものに過剰に執着してしまうからである。自分を過剰に愛しているからである。
自分を愛するという中に、気づかないうちに「自分は特別だ」という想いがあるからである。毎日、公道で多くの人が死んでいることがわかっていても、自分も同様に死んでしまうことがあるという印象を強く抱けない。自分と他人は別で、あたかも自分はあのように死んでしまうことはないと思っており、それだけにとどまらず、どこかで自分はこのままずっと生き続けるのではないかと思っているものである。秀吉も死ぬ間際までは、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 」と思うことができなかった。あたかも自分だけは他の人と違い、ずっと生き続けて、他の人と違って頓死することはないだろう、と思っている。だが、それは科学的にはなんの根拠もない。毎日、日本の中で、数千人という人間が今も死んでいる。今も病気になり、今も老いているわけである。しかし、我々はそうした他人と自分を結びつけることが出来ない。他人に起こる苦しみや無常は自分自身にも起こるものなのに自分にだけは起こらないと根拠も無く思い込んでいる。他人がいくら死んでも自分が死ぬのだとなかなか思えない。
それは、自分の特別視が気づかずに起こってしまっているからである。自分だけ幸運でありたい、と人は思っているが、それが出てくると夢を夢と見ることができなくなる。しかし、多く人が死んでいってるつながりを意識すれば、根拠のない自分だけを特別に愛そうとする意識は醒めていって落ち着いた心が出てくる。

どれだけ仮想通過の値が上がっても、どれだけ多くの金を得ても、自己愛の執着を手放さない限り、心の平静、我欲からの解脱、「人生夢の如し」の悟りの境地に辿りつくことはできない。