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愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

画家アンリ・ルソーに学ぶ生き方

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みやもさん、ツイッターの写真を見ると以前に比べて肥えたようにみえる。

正直なところ、みやもさんの絵に10万の価値があるとか、技術的に優れているとか、劣っているとか、絵の才能があるとか、そういったことにあまり興味はない。興味が無いというか、よくわからないし、彼の才能について言及するのはあまり意味のないことじゃないかと思う。本当に興味があるのは、彼がどうやって飯を食っているのか、という点についてである。これまで彼が絵で稼いだ総額、多く見積もっても50万円ほどだろうが、1年間50万じゃとても生活などできない。ましてや物価や家賃の高い東京である。納税はしているのだろうか。
彼はいったい何で食いつないでいるのか。収入と支出はどうなっているのか。

これはアンチとかアンチじゃないとかそういうことじゃなくて、純粋に疑問なのである。なぜなら、みやもさん自身このことについて絶対に語らないからである。また、彼に対する様々な意見も、彼の絵の技量や動機について焦点がよくあたっているが、彼が何によって食いつないでいるのか、疑問に思う声がほとんどないのだ。

なぜ、このことについてこだわるのか。それは、みやもさんを語るにあたって、金のことについて考えるのは非常に重要なことだと思うからである。
ある人は彼のいろんなことに手を出しては諦めては手を出す生き方を挑戦的な生き方だという。だが、その挑戦が何によって担保されているのか考えたことはあるだろうか。仮に、彼が鳴かず飛ばずで、画家を挫折するとしよう。だが、彼には帰る家がある。住む場所がある。頼ることができる場所があるのだ。事実、彼はハイパーリバ邸から撤退したのち、石川の実家で半年ほど暮らしていた。
つまり、彼の一見挑戦的に見える生き方は、その気になればいくらでも失敗できる環境によって担保されているのである。失敗しても、食べることができる。失敗しても住むところがある。本質的には何一つリスクなど背負ってはいないのである。しかし誰もがみやもさんのように親を頼れるわけではない。
この世界には誰も頼ることができず、10代のうちから、自立をせざるをえない者もいる。それができなければ待っているのはホームレスだからだ。

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そういった人たちにとってみやもさんの生き方はどう映るのだろう。挑戦的な生き方に映るのだろうか。勇気をもらえるのだろうか。この現実をどう受け止めるのだろう。


みやもさんに対してずっと抱き続けている違和感、それは絵が彼にとって彼が成り上がるための手段に過ぎないという点である。純粋に絵を描きたいのではなく、絵を描くことによって誰かから尊敬されたり、注目を浴びたり、お金を稼いだり、そういった利益を追求することが彼の原点なのである。だから、彼は生きている間に成功できなければ意味が無いとも言っていた。

もし、本当に絵を描きたいなら、たとえ売れなくても、有名人になれなくても絵を描き続けるはずである。もし本当に絵が好きならたとえそれがお金にならなくても、有名になれなくても、続けるはずなのだ。だが、彼は、初期の段階で絵で成功できなければ絵を続けるかわからないと宣言しているのである。それは、人の心を打つのだろうか。
その昔、アンリ・ルソーという画家がいた。彼は日曜画家だった。ルソーは、その絵が売れることは生涯ほとんどなかったが、郵便局員として働きながら、日曜日に絵を描き続けた。その彼の作品が、今では歴史的な名作として伝わっている。たとえお金は得られなくても、作品を作り続けることで、自分がこの世から消え去っても、誰かが自分の作品を見てくれること、自分が死んでも作品だけは生き続けてくれること、それがクリエイターにとっての救いなのではないだろうか。

そういう意味でみやもさんは本質的にはクリエイターではないのだと思う。
我々は生き続けなければならない。生き続けるには金が必要だ。絵では食べていけない。金を手にするには働かなくてはならない。みやもさんが絵を続けるには働かなくてはならないのだ。