クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

瞑想するぞ瞑想するぞ瞑想するぞ

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未だMからは連絡が来ない。いつまで待てばいいのだろう。


LINEでブロックするのってどんな気分なんだろう。俺はブロックしたことないからわからない。そもそもブロックしたくなるほど、メッセージ来ないし。そういえばEはブロックしたことあるって言ってたな。失礼なこと聞かれたり、相手が自分を含めた複数の子に同時に同じ内容のメッセージを送っているのを知った時は、ブロックしたって言ってた。最初は罪悪感があったけれど、そういうのが続くと慣れていくとも言ってた。



さて、なぜ俺はこんな恋愛日記のようなものを書いているのか。

全ては自己愛から端を発している。俺が恋愛にこだわっているのは、そうしなければ自分の価値を実感できないからだろう。自分の価値を実感できないから、生きている実感すらも希薄になっていく。
通常男であれば、仕事などを通じて収入を得たり、認められることで社会の中で自分の価値を実感するのかもしれない。だが俺は、仕事では同僚に水をあけられ、出世の道は閉ざされており、会社の歯車としてこき使われる余生が確定している。
ただ生きているだけでは自分の価値を実感できない、その中にあっても、たった一人でも自分を受け入れてくれる人、自分を愛してくれる人がいれば、生きている実感を持てるのではないか。自分でもはっきりとはわからないが、俺が恋活的なことをしているのはそこに動機があるように思う。

このような肥大した自己愛を解決するには大きく分けて二つの方法があるように思う。1つは、仕事で認められたり、恋人に認められたり、大多数の人に認められたりすることで、承認欲求を満たすこと。すなわち単純に自己愛を満たすことである。

もう一つは自己愛そのものを脳の生み出す不純物としてみなし、雑念と捉え消してしまうことである。そもそも自己愛がなければ、これほど苦しむこともないのだ。
自分の才能を発揮して、仕事で結果を出したい。多くの人の役に立ちたい。こうした欲求も突き詰めれば「そういう自分でありたい」「自分という存在を他者に認めてもらいたい」といった自己愛である。苦しみとはこれらの欲求が満たされないことによって生じる。すなわち自己愛を鎮めることができれば苦しみも和らげることができる。

そのためには瞑想である。目を閉じて頭の雑念を追いかけず、呼吸のみに一点集中する。そうすれば自己愛、自我執着から解き放たれた心の静寂が訪れる。