クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

不快なことはなぜ不快なのか

スポンサーリンク

職場に苦手な人間がいる。なぜに苦手なのか、はっきり分からない。というのも、何か具体的な危害を加えられたわけではないからだ。僕以外にもそう感じている人は多いようだ。
なぜ苦手なのか。強いてあげるとするなら、声の抑揚や表情が乏しいといった特徴があるけれど、なぜ声の抑揚や表情が乏しいことが相手に不快感を与えるのだろうか。

それは感情の存在を明らかにすることが、遺伝子を残すのに有利だからではないか、と考えられる。

一見、生存において機械のように冷静に行動した方が、感情を持つことよりも、危機の際にパニックに陥ったりすることが少ないため有利のように思える。
だが、感情は人や犬や猿といった哺乳類において、群れや社会を形成し、円滑に維持していくために機能している。つまり、群れの他の構成メンバーが次にどんな行動をとるのか予測できないようでは、群れの秩序は維持できないし、狩りのように自分の生命を危険にさらすかもしれない共同作業を安心して行うことはできない。
餌を横取りする、縄張りを侵害する、所有権のはっきりしたメスにちょっかいをかける、といった行動が被害者の怒りを誘うということは、さほどの知能がなくても理解できる。そして、怒りをあらわにして見せることは、相手がひかなければ、かなりの損害は覚悟しても戦うという意思表示になる。感情というものがお互いの共通認識にあれば、加害者はそれ以上争うことなく矛を収めることだろう。それがお互いの利益を最大化することは、ゲーム理論で明らかにされている。

このようにして感情は一見非合理的だが、実は非常に内的整合性のある合理的な体系を持っている。どういう刺激を加えれば、どういう反応が返ってくるかといった予測が非常に容易なのだ。人間は個人差こそあれ、進化の過程で感情の有無がわかりにくい人間を不快に感じるような脳を獲得していくことで生存を最適化してきたのではないだろうか。

例えば、セールスにおけるコミュニケーションの重要度は言葉が9%、声の調子が50%、ボディ・ランゲージが41%などと言われている。
このうち「言葉」の占める割合はなんと1割にもならない。これが意味するのは、我々は相手の話の内容よりも、主に声の調子や身振りで「話を聞いている」ということなのだ。
その人に実際に感情がないわけではないのだけれど、本人に自覚もないし、教えてあげたところで、治るものでもないだろう。理由はよくわからないけれど、なんとなく好かれる人、なんとなく感じの良い人とそうでない人の違いっていったいなんなんだろうと思ったことがきっかけでこの記事を書いた。

マンガでやさしくわかるゲーム理論

マンガでやさしくわかるゲーム理論