クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

止まった時計

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ちるろぐのチルドさんがブログで「努力したら負け」と言っていた。努力が報われたことのある人や、報われる可能性がある人からは絶対に出てこない言葉である。僕とチルドさんは似ているのだ。

このブログにはクソログよりも割とコアな読者が多いから、今日は僕の過去について書いてみようと思う。
こんな僕にも希望に満ち溢れていた頃があった。
かつて僕は傍目には安定して、社会的ステータスや収入もそれなりにあり、嘲笑や侮蔑とも無縁な職についていたことがある。学生時代はその職につくためだけに、勉強していたおかげで就職氷河期もものともせず新卒でその職に就くことができた。希望に満ち溢れていた。だが、その後に待っていたのは屈辱にまみれた地獄の日々だった。
毎日のように怒号と罵声を受け、自尊心を傷つけられた。時には蹴られることさえあった。ありふれた話ではある。
そして入職1年目、査定の面談で「君は普通の人よりも劣っているから、人よりも何倍も努力しなければ、普通の人と同じ水準にまで到達しない」と告げられた。続けて「君はまだ若いから他の道もあるんじゃないか。一週間時間をやるから答えを聞かせてくれ。」とのことだった。今まで接したことがないほどの優しい口調。事実上の解雇通告だった。

普通の人よりも何倍も努力して、突き抜けられるならともかく、やっと人並みになれるに過ぎない。どんなに努力したところで群衆の1人でしかない。だったら、努力なんてしない方がいい。その仕事に一生を賭けたいとも思えなかった。
インターネットの功罪の1つは、他人の人生を容易に可視化できるようになったことだろう。そこには努力することで突き抜けられる人が映し出されていた。
かたや僕は落ちこぼれでどんなに努力したところで、平凡になれるのがやっとの低能の未来しか残されていなかった。


1週間後、僕は退職願を提出した。安定も収入も社会的ステータスも捨てた。そして、僕は努力することをやめた。それからはなんのキャリアにもスキルにもならない代替可能な仕事を続けている。

その選択をしたことに後悔はない。未練もない。遅かれ早かれ、潰れていたことだろう。ただ、そのころから僕は致命的な不全感を抱えているように思う。未だに自分に自信を持つことができないのはそのためだろう。株で一山当てるとか、小説で賞を取るとか荒唐無稽な一発逆転思考が頭をもたげてくる。馬鹿は死ななきゃ治らない。時計は止まったままである。

たとえ女から嫌われても、弱くても、ありのままでいたかった。