クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

自分を信じることができないから他人を信じることもできない

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先日、街コンで二次会にいった子たちとまだLINEが続いている。連絡先交換後、秒速で3人からブロックされたあの頃と比べると、これは進歩と言っても良いのではないだろうか。

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これがオナ禁による効果なのか何なのか正直よく分からない。


はっきり言って恋愛が苦手である。

理由は簡単で、恋愛はあらゆる自己嫌悪の源泉だからである。
恋愛らしきものをしているとき、僕は自分を醜いと思わない日はない。いや、完全に舞い上がって「オレ超ハッピー!」って瞬間はある。
むしろ、それが問題なのである。そんな自分を次の瞬間自覚して厭な汗をかく。気が滅入る。例えば誰かを好きになったとき、その誰かと仲良くなる過程は異常に愉快である。けれども、同時に自分がいかに姑息で打算的な人間かを思い知らされる。僕は自分が相手を気持ち良くさせるとき、それは自分が気持ちよくなりたいためだと知っている。極めて不愉快な自覚である。


私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。
叔父に欺かれた当時の私は、
他の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。
世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。
他に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。


自分は結局のところセクロスしたいとか、相手の好意を独占したいとか、交際相手のいる自分でありたいとか、そういった諸々の下心のために、恋人にしようとしているのではないか。この焦がれるような相手に対する欲は、つまるところ、所有欲や肉欲の類でしかないのではないか。
こんな風にすぐさま自分の下心を探り当ててしまうような歪んだ人間に、恋愛みたいなものは向かない。僕は僕に対して誰よりも懐疑的である。それは結局、自分ばかり見ている証拠でもある。それだけ自己愛が強いのだろう。自己愛が強すぎるせいか、ときに勝手な自己投影を暴走させたりもする。すると、恋愛中の自分を醜く感じるのと同じように、自分に恋してくれている相手までが醜く感じられてくる。相手の言葉までが自分の言葉がそうであるように打算的に聞こえてくるのだ。いかにも病的である。

人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、
それでいて自分の懐に入ろうとするものを、
手をひろげて抱き締める事のできない人、
――これが先生であった。

自分を信じることができない人間は他人を信じることもできない。他人を信じるには、自分も信用に値する人間になるしかない。そのためにはやはりオナ禁なのだと思う。口ではどんな綺麗事を並べようと、人の目につかぬところでせっせとソーセージをしごいているような人間は醜い。自己嫌悪の呪縛から解き放たれ、自己肯定感を高めるにはオナ禁日数を積み上げていくしかないのだ。