クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

こ、これがオナ禁の力なのか..?

スポンサーリンク

この度懲りもせず、また会社の同僚Fと街コンに参加した。正直、街コンは当分いいや、と思っていたけれど結局参加することにした。

手ごたえはこれまで参加してきた街コンの中でも最悪だったと思う。どの席でも会話はあまり盛り上がらなかったし、連絡先を交換しようという雰囲気すら作れなかった。

これで、今日も高い参加費だけ払って何の収穫も無しか...とか思いながらダメ元で、帰り際に最後に話した女の子2人組を2次会に誘うと、なんと応じてくれたのである。これまでは2次会に誘っても「用事があるんで」とか「電車の時間が」とか言われてあしらわれたことしかなかったのだけれど、快く飲みの誘いに付き合ってくれた。しかもこの2人、初参加で結構遠方から来ているらしく、かつ今回の街コンは夜に行われたので終電を理由に断られる可能性は大であったはずなのに、ほいほいとついてきてくれた。

終電ギリギリまで飲んで会話もそこそこに弾んで連絡先交換もすることができた。

連絡先交換はしたものの、まずこちらから送って、社交辞令の挨拶が返ってきて、デートを匂わせるとフェードアウトされるっていうのが今までの典型的なダメパターンだったのだけれど、今回はこちらが送る前に女性側からLINEの連絡が来た。これも今までにはなかったことである。そして、なんの雑作もなく次回2対2で飲みに行く約束をこぎつけることができた。

それでも、これが単純に好意によるものなのか、あるいはもっと別の何かなのか、まだ図り損ねている。私の女性に対する疑心の根はそれほどまで深い。なんの興味も無い人間と酒を飲みに行く。これがあるから女性は侮れないのである。

いずれにせよ検証のためにオナ禁は継続していく。

先生は何時も静かであった。ある時は静過ぎて淋しい位であった。私は最初から先生には近づき難い不思議があるように思っていた.それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、何処かに強く働らいた。こういう感じを先生に対して有っていたものは,多くの人のうちで或は私だけかも知れない。然しその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいと云われても,馬鹿げていると笑われても,それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしく又嬉しく思っている。人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、― これが先生であった.


オナ禁をする理由は人それぞれであるが、おそらくはほとんどの人がモテたくてオナ禁をはじめる。
しかしモテても非モテでも幸福になれること。それが真にオナ禁の目指すところである。すなわちオナ禁とは性欲の超越である。性欲は満たすことができれば幸福であるが、満たすことができなければ不幸せである。しかし、仮に満たすことができたとしても、これらは永遠ではない。美人も美男子もいずれは老い衰え醜くなる運命である。内なる絶対的な幸福は、性欲も含め、いかなる娯楽でも得られない。オナ禁により性欲を超越したその先に絶対的幸福は存在するのである。