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愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

オナ禁が育む慈悲の心

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オナ禁は習慣化するまでとても辛く苦しい。

しかし人は苦しみを経験してこそ、他の苦しみを理解することが出来る。苦しみが、人にとって一番大切な慈悲の心の源になるのではないだろうか。

世俗的な幸福というのは、多かれ少なかれ奪い合いの様相があって、金も、異性も、名誉も、自分が他に勝って、それらを得る喜びの裏には、負けた他が、それらを失う苦しみがあり、逆に言えば、自分が負ける苦しみの裏には、他人が得る喜びがあるといえる。

慈悲の心があれば、自分の苦しみは、自分が他から奪いすぎないで、足るを知って生きるために、喜びととらえなおすことが出来る。この意味でも、苦しみは、慈悲の心の源にすることができる。

今の日本は以前よりも豊かさが減ったためか、将来への経済的な不安が増大している。しかし、世界・地球全体から見ると、やはり、特別に豊かで恵まれた国であって、飢え死ぬ訳ではない。

また、最近は、勝ち組・負け組と言って、自分を負け組と考えて、酷く落ち込む人も多いが、日本人を含めた先進国の人々は、世界の中で富を独占する存在で、しかも、日本は長寿で安全な国だから、客観的に見て、勝ち組であることは間違いない。

その日本人がかかえる将来の不安とは、本質的に何を意味しているのか。客観的には、贅沢や勝利に慣れすぎてしまった心の問題の側面があるのではないだろうか。だとすれば、その程度の不安があったとしても、それは本当に悪いことなのか。慈悲の心を培うよい機会・試練ではないのか?

仮にもし全く不安のない人生だったら、どんな人間になるのだろうか。例えば、他の苦しみを理解できるようになるだろうか金と名誉・勝利に満ち足りて、何の苦しみもない人生とはどんなものなのだろう。

かつてのフランス王妃マリーアントワネットは民衆がパンがなく飢えていた時に、「パンがないなら、なぜケーキを食べないの」と言って、民衆の怒りを買って、彼女は自らを滅ぼす結果となった。彼女の栄華は一時的だったが、その栄華が彼女を滅ぼす原因となった。

また、腹八分目に医者いらずと言う。食べ物も、それが過ぎれば、体には毒になるように、お金や名誉やその他のものも、それが過ぎれば、心の健康にとって毒にならないか。ならば、多少の不足・不安くらいは、本当に悪いことなのか。

このようにして考えると、楽にも苦にも感謝して生きる道がある。今、与えられている幸福に感謝すると共に、今、与えられていない苦しみに対しても、それを慈悲の源と感謝して、全ての感謝する道。楽にも苦にも感謝。一切に感謝。

そして、足るを知り、感謝の心がないならば、絶えず、今得ていないものを未来に求めて生きることになる。
しかし、それは、未来に生きようとしているようなもので、今現在の人生を楽しむことはできない。

今の楽にも苦にも感謝して、今、ここで、幸福になる。
今、ここの人生を感謝し、楽しむ。そこには、際限のない貪りから離れた平安な心と、奪い合いから離れた温かい慈悲の心が存在している。