クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

オナ禁日数65日目 その時点を境に一つも変わらなかった日光は私の心のなかでずっと続いていくだろう

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同僚Fと街コンに参加した。男女比14対14で7テーブル。それぞれ20分ほど話せただろうか。4人ほど連絡先を交換した。連絡先交換自体に大した意味はない。交換の申し出を断ると角が立つからその場では交換はしてくれる。しかし、そこからふるいにかけられる。事実、前回は交換先全てブロックされたのだ。

結論から言うと、今回も手ごたえはない。正直、オナ禁の効果は無かったと言わざるをえない。イベント終了時にスマホのアプリを使って、イベント参加者の中から気に入った異性に1人投票することでマッチングを促す企画があるのだが、僕に投票した人は誰もいなかった。0である。(周囲には誰が誰に投票したかわからない仕組みになっている。ちなみに僕が投票した人は僕も含め3人の投票者がいた。)
ちなみに同席していたFも投票された数は0であった。最強の非モテコンビである。いや、これはもしかしたら救いだったのかもしれない。もし、Fに1票でも入っていようものなら、僕はもう立ち直れないほどの精神的ダメージを受けていたことだろう。

やはり僕はFと相性が良くないのかもしれない。Fは話の主導権を取りたがる傾向にあり、僕が話していても横取りしたり、女性を質問攻めにしてしまう。もちろん僕自身にも何らかの問題があるのだろうけれど。

オナ禁とはいったい何だったのか。僕がこれまで信じてきたものはいったい・・・。オナ禁で何かが変わるなどという現実はなかった。冷静に考えると当たり前の話なのかもしれないが、それでもどこか期待していた部分があったように思う。


終戦の時、私は終戦の詔勅を親戚の家で聞きました。と申しますのは、東京都内から離れたところの親戚の家に私共の家族が疎開をしていまして、終戦の詔勅自体については、私は不思議な感動を通り越した様な空白感しかありませんでした。それは必ずしも予期されたものではありませんでしたが、今までの自分の生きてきた世界が、このままどこへ向かって変わっていくのか、それが不思議でたまらなかった。

そして戦争が済んだら、或いは戦争が負けたらこの世界は崩壊するはずであるのに、まだ周りの木々が緑が濃い夏の光を浴びている。事にそれは普通の家庭の中で見たのでありますから、周りに家族の顔もあり、周りに普通のちゃぶ台もあり、日常生活がある。それが実に不思議でならなかったのであります。
これからも何度も何度もあの8月15日の夏の木々を照らしていた激しい日光、その時点を境に一つも変わらなかった日光は私の心のなかでずっと続いていくだろうと思います。

芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸も見える。夏というのに紅葉している楓もあって、青葉のなかに炎を点じている。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際に花咲いた撫子がつつましい。左方の一角に古い車井戸が見え、又、見るからに日に熱して、腰かければ肌を灼きそうな青緑の陶のとうが、芝生の中程に据えられている。そして、裏山の頂きの青空には、夏雲がまばゆい肩を聳やかしている。
これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
そのほかには何一つ音とてなく、寂莫を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。・・・・・

三島の遺作、「豊饒の海」四部作は、ほとんどが本多繁邦の視点で語られ、第三作の「暁の寺」からは次第に彼がドラマ自体の主人公になっていくだけれど、その最後に至って彼のかつての親友、松枝清顕の恋人、綾倉聡子と(第一作「春の雪」は清顕と聡子の許されない恋を描いたもの)六十年の時を隔てて再会する。しかし、落飾して月修寺の門跡となった聡子はあろうことかこう言うのである。

「松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?」自分が仏門に入った契機でもある、恋人を知らないと言う門跡に対し、本多は彼女が白を切っているとしか思えないものの、次第に不安に駆られる。

「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば……それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……その上、ひょっとしたら、この私ですらも……」

第一作のみならず、第二作、第三作の主人公、すなわち自分の人生と深く関わった人々がいなかったとすれば自分も存在していなかったことになる。うろたえる本多に、門跡ははじめてやや強く彼を見据えて――こう言うのだ。

「それも心々ですさかい」


三島由紀夫は、昭和20年8月15日に味わった「自分の信じていたものが崩壊しても何も変わらなかったのが、不思議でならなかった」という夏の日の精神体験を、この小説のどんでん返しとも言うべき本多の体験として、読者に共有させようとしたのではないだろうか。

オナ禁の効果など、最初からありもしないものを信じていただけなのだろうか。オナ禁が最初からなかったとすれば、筋トレもなかったことになる。睡眠の質向上もなかったことになる、その上、ひょっとしたら、この私ですらも……。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまった。


「それも心々ですさかい」





そんなことを考えながら、僕はFとタリーズでコーヒーを飲んでいた。


煙草に火をつけながらFがこう言った。
「今回も微妙でしたね。クソログさん、オナ禁なんて無意味なことをいったいいつまで続けるつもりですか?」



僕は答えを用意していた。


「命の続く限りだ。」



天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

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