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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

もし「ぼくはずっと負け続けの人生です。生きることに希望が持てない。」という相談を受けたら

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筋トレしろ。以上。



「負け続けの人生で、生きることに希望が持てない」という卑屈から抜け出すにはどうすればよいのか。
人の心というのは外的条件によって左右されるのかもしれないが、外的条件のみによって決まるわけでもない。その外的条件をどう受け止めるか、どう見るか、どのような心の持ち方で認識するかによって幸にも不幸にもなる。

どんなに恵まれている環境にあっても、それ以上に恵まれている人間や環境ばかりを心が見ていれば、幸福を感じにくくなる。一方、どんなに苦しい状況でも、それ以上に苦しい状況に陥っている人のことを考えれば、苦しみは和らいでいく。といったように、外的条件が非常に豊かであっても、それに対する感謝の心が全然なくて、自分よりも豊かな人ばかりを妬んだり、羨んだりしていれば、豊かだと思うことはできない。一方で、外的条件はほどほどでも、感謝する心が強ければ、幸福感は強くなる。感謝は幸福を引き出し、不満は不幸を引き出すのである。
もしかしたら「不満」も必要なのではないか、といった声もあるかもしれない。わが身に不満を抱いて、それをバネに頑張ることも必要なのではないか、と。それは1面において、そのとおりである。
しかし、不満が強くなりすぎて、その結果自分を否定して「俺は負け続けの人生なんだ」と卑屈になってしまうのはいかがなものだろうか。
全てにおいて、納得している人生を送っている人などいやしない。また、仮にいたとしても「自分が全てにおいて納得できる人生以外は価値がない」といった、極端な思考は、人を視野狭窄に陥らせ、苦しみや卑屈感を増幅させる。
相談者以上に恵まれていない人間は無数に存在する。この世には立命館大学どころか大学にすら通えなかった人もいるだろう。この世には大企業どころか、仕事すらになかなか就けない人だっているだろう。では、そうした人たち全員が生きることに希望を失っているだろうか。そんなことはない。今の社会は、他に勝った優れた者が幸福になり、他にが負けた劣った者が不幸になる「優勝劣敗」の考え方に支配されがちであるが、1人1人の人間が、今手にしている環境や能力は自分だけの力で手に入れたものではない。日本人は1億3千万人くらいいるが、地球全体で見れば70億人近くいるわけで、我々よりもずっとずっと恵まれていない人たちがたくさんいる。それは、貧困であったり、飢えていたり、病気であったり、事故であったり、紛争であったり、日本の中にも外にも苦しんでいる人たちがいる。心の視野を広げてみると、自分の人生がいかに恵まれているかが見えてくる。
自分が持っていないものばかりを見て卑屈になるのではなく、自分が持っているものに目を向けて感謝をする。そうした「足るを知る」という心を持ち、勝ち負け二元論から脱却しない限り、ベンチャーに転職しても、起業しても、何も変わらないのではないだろうか。