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愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

「生産性のない人間は死ぬべき」という思想の危険性について

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なんだろう。読んで津久井やまゆり園の事件を思い出した。今の日本には、有能、無能といった能力や社会的ステータスで人を価値判断する文化が根付いているように感じる。

「変化できない人間は価値が無いから死ね。社会的生産性の無い人間は死ね」とブログで発言するのは、常に社会から「有能でなければならない。でなければ価値が無い」というメッセージを発信者が受け続けていることの反動として表れていると思う。

特に競争の激しい現代社会は、自他を区別し、自他の優劣を比較し、他者ないし自分の価値を否定しすぎる傾向が強いと思う。それが、他殺・自殺に繋がるのではないだろうか。実際、日本の年間自殺者は毎年3万人以上で、未遂はその10倍ともいわれている。その中に、劣等感によって、自殺に追い込まれる者がいる。自分には、何のとりえも、生きる価値もないと考え、自分を抹殺しているのだ。

社会への貢献度や能力・財力・容姿など、時々に変わる社会の価値観の下だけで、人の優劣を区別して、人の命の価値まで決めてしまうことは、突き詰めれば誰にとってもしんどくなる。人は誰しもいつまでも健康でいられるわけではないし、常に競争に追い立てられて心安らぐ暇がないからだ。

人の存在価値を能力や社会的価値の優劣で決める論理の危険には際限がない。
さらに、やっかいなのは、「死んでしまえばいい」と攻撃する人間も、実は自分も追い詰められている1人だという自覚がないところにある。
優生思想は強者の論理である。自分はもっぱら「死ねばいい」と発言できる側だと思い込み、「死ねばいい」と発言される側だとは考えていない。
今後、人工知能の発達が人類に危険をもたらすという識者が多数いる。優生思想の人間が、人工知能を作ればどうなるか。人工知能の未来は、それを作る人間によることは間違いない。いつか人間を超えた人工知能が、同じ論理で、人類全体を欲望や争いを抑制できない「無価値な存在」「地球の癌」として抹殺する、そんな未来が訪れるのかもしれない。無価値な人間は死ねばいいという論理は、自身が全く同じ論理で排除される可能性を包含しているのだ。