クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

諸法無我

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でもね、よく考えてみろよ。条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いのもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる。金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かを持ってるやつにはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何も持てないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。


「一切皆苦」という仏陀の言葉がある。 この世界は、結局はすべて苦であるという意味である。この世のすべてが苦とはいったいどういうことか。例えば、自分の好きな異性をこの手にしたとする。それは一見この上なく幸福に思えるが、その人の持つ容姿や性格などは不変のものではなく、衰えてしまう運命にあるという苦、愛情が冷めたり、事故などで、ある日突然自分のもとから去ってしまうのではないかという不安からくる苦、そしていずれは絶対に自分の元から去ってしまうこと(つまりは死)による苦などがある。

あるいは、自分のやりたいことで、人を直接魅了できるような分かりやすい技術・能力を手に入れたとする。これもまた同様に、人の能力というのは、いつかは衰えてしまうことは避けられないのだから、培った自分の能力や評価がいずれは失われてしまう苦しみやから逃れることはできない。

ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような大富豪でさえも、あの世まで金を持っていくことはできないのだから、手にした能力や富が死を迎えた瞬間に跡形もなく消え去ってしまうという不安や苦が生じるのだ。

このようにして、一見、充実して幸福に思えることでも、生きることの本質は苦であることがわかる。

いつ突然死ぬか分からぬ恐怖は苦である。いつ病に冒されるか分からない恐怖は苦である。肉体や思考力や感覚、能力の低下を伴う老いは苦である。それでもこのような頼りない人生を生きていかなければならないことは苦である。望むものを得ることができないのは苦である。望むものを失うことは苦である。孤独であることは苦である。食べなければならないことは苦である。
これらは人間の人生に宿命づけられた事柄である。これらの苦しみは常に人間を悩ますものとしてどこかに潜んでいる疑問を呼び起こす。すなわち、「自分はなんのために生きているのだ」と。この、生きている確かな手ごたえ、実存的確信が得られていないことが苦しみの本質である。

では苦はいったいどこから生じるか。それは煩悩である。相手を自分のものにしたいという煩悩があるからこそ、優れた能力や技術が欲しいといった煩悩があるからこそ、それが叶わなかった時に怒りや苦しみが生じるのだ。

僕がイケダハヤトや宮森はやと、あるいはオウム信者の幹部について言及するのは、彼らの持つ煩悩・我欲が、僕の持っている我欲と似ていると思ったからである。その共通する我欲とは何か。それは「群衆の1人ではない唯一無二の存在でありたい」という我欲である。
人生の意味や目的が分からないことは苦である。価値が相対的にしか得られないことは苦である。人間関係に縛られていることは苦である。そのような苦しみが存在するのは、自分の人生に意味を見出したいという煩悩、自分の絶対的な価値を他人に認められたいという煩悩、人間関係に縛られたくないという煩悩が存在するからである。

自分が社会に埋もれた存在でしかないという苦しみ、自分だけは社会に埋もれた存在でありたくないという煩悩を持つ人間がいることは今も昔も何も変わってはいないのだ。だが、唯一無二の存在などというのは、とどのつまり、自分の煩悩が生み出した幻想に過ぎない。なぜなら全ての存在は絶えず変化し、いずれは滅する運命にあるからだ。
   
イケダハヤトは唯一無二の存在でありたいという我執、煩悩からくる苦しみを解消するために会社勤めを辞めブロガーへの転換を図った。そして、一見その煩悩は満たされ、苦しみから解消されたように思える。だが、なぜ彼はあそこまで、自分とは無関係なはずのサラリーマン人生や東京批判に執着するのだろうか。それはブロガーになったことで、今度はブロガーとしてのライフスタイルや田舎暮らしなど自分が価値を認めているものに、周囲からの理解があまり得られていないこと、そのことによる自分の価値が正しく認められてないことによる煩悩、苦しみが新たに生じているからだ。

このようにして、全ての煩悩を満たすことはできないのだから、1つ煩悩を満たしても、新たな煩悩が生じ、そこから苦しみが増大していく。

これらのことは頭で理解することはさほど難しくない。だが、それを身体的なものにすることは非常に難しい。煩悩そのものを完全に消すことは不可能かもしれないが、それを客観視し、軽減させることはできる。

瞑想は煩悩を軽減させるのに、それを身体的なものとして昇華する訓練になる。睡眠と瞑想は異なる。睡眠は意識が完全に途切れた状態であるが、瞑想は意識を保ったまま静寂を保つ。呼吸に集中し、無思考であることに集中する。このような状態は意識的に作らなければ、起きている間はほとんどない。起きている時は、常に何か考えて気にしていたり、テレビやネットを見て情報を得たり、話したり、動いていたりしている状態である。自分の煩悩や雑念を客観視している時間はほとんどない。


多くの人は、自分のやりたいことをやりたいだけやることが自由だと考えているが、やりたいことをやらなければならないという煩悩からの不自由には気づいていない。
すべての存在、あらゆる現象は変化し、そして滅する。全ての人間はその流れのなかにある。一切皆苦を受け入れ、「自分」への執着を手放さない限り、煩悩やそこから生じる苦しみからの自由は得られない。

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