読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

オナ禁日数26日目

スポンサーリンク

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

読んだ。

「ねえ、ジェイ。」と鼠はグラスを眺めたまま言った。「俺は二十五年生きてきて、何ひとつ身につけなかったような気がするんだ。」

ジェイはしばらく何も言わずに、自分の指先を見ていた。それから少し肩をすぼめた。

「あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ。こういうことさ。人はどんなことからでも努力すれば何かを学べるってね。どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。どんな髭剃りにも哲学はあるってね、どこかで読んだよ。実際、そうしなければ誰も生き残ってなんかいけないのさ。」

「ねぇジェイ、人間はみんな腐っていく。そうだろ?」

「そうだね。」

「腐り方にはいろんなやり方がある。でも一人一人の人間にとって、その選択肢の数はとても限られているように思える。せいぜいが……二つか三つだ。」

「そうかもしれない。」

「それでも人は変り続ける。変ることにどんな意味があるのか俺にはずっとわからなかった。そうしてこう思った。どんな進歩もどんな変化も結局は崩壊の過程に過ぎないじゃないかってね。違うかい?」

「違わないだろう。」

「だから俺はそんな風に嬉々として無に向かおうとする連中にひとかけらの愛情も好意も持てなかった。……この街にもね。」

「問題は、…あんた自身が変ろうとしていることだ。そうだね?」

「実にね。」

俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさや辛さも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、 そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや……


僕は鼠と同じだ。これまで生きてきて何も身につけてこなかった。何かを身につけようと思ったことがなかったわけじゃない。でも、結局身につかなかった。無理して変わろうとしたところでどうせ遅かれ早かれ人は死に向かって腐っていくだけの存在に過ぎないのだという無力感。だったら、たとえ弱くても変わらずにありのままの自分でいたかった。

僕はなぜオナ禁をしているのだろう。僕はただ、何もない何者でもない自分を認めてほしかっただけなのかもしれない。

「人はどんなことからでも努力すれば何かを学べる」

本当にそうだろうか。オナ禁を続けることで何か学べるのだろうか。