クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

オナ禁日数7日目

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1週間オナ禁することができた。1週間もしごかなかったのは一体何年振りだろう。記憶が定かではない。たしか、2,3年くらい前にも達成したような気もするがその時は動画見ながら息子をいじったりしていたので、完全なオナ禁ではなかったし、いじっている際、何かの拍子で誤爆してしまい、結局オナ猿に戻ってしまった。

今回は自分で言うのもなんだが、かなり固い決意で挑んでいる。そして、なんとか1週間達成することができた。

だが、この記念すべきオナ禁7日目にショックな出来事が起きた。

先日参加した街コンで3件くらい連絡先交換したのだが、全てブロックされていることが判明し、かなりメンタルにダメージを受けている。(ラインでブロックされているかどうか確かめる方法がある)。ちなみにラインでのやり取りは挨拶程度でほとんどない。からのブロック。だったら、最初から交換するなよ。

いや、断るのがめんどくて、ただその場しのぎで合わせてくれただけってのは分かるんだけどさ…。

こうなることは、ある程度わかっていたことだけど、それでもやはり堪えるものがある。

若い子ばかりだったし、こんなおっさん相手にされんだろ。それはわかってたんだ…。

 

…。

 

だいたいなんだよオナ禁って。くだらねえし、気持ちわりい。何がオナ禁だ…!。どうせ何も掴めないなら、せめて快楽だけでも貪った方がいいんじゃ....。

 

……。

 

…………。

 

 

いや、待て。ここでまたオナ猿に戻っても結局何も変わらない。このどん底の状態でウォナ禁を続けてこそ、そのオナ禁の成果、経過が分かるというものだ。たとえそれが無為に終わろうとも、それが無為であったと証明するにはやはりオナ禁を続けなければならない。

 

僕は今までブログでパフォーマンスとはいえ過激なことを書いて多くの人を傷つけてきた。その報いを今、受けているのかもしれない。「女はクソ」。そんなエントリもたくさん書いてきた。そんな人間が女に好かれようとしているのだから、滑稽というほか無く、笑止千万極まる。

若くて容姿に恵まれた女性はそれだけでちやほやされ大切にされる。おそらく、僕をブロックした超売り手市場の女性たちは意中の相手からブロックされた経験などないだろう。

人の痛みや苦しみというのは自分が受けてみないとわからないものだ。僕は誰からも必要とされていない人間かもしれないが、これからはせめて人の痛みを理解できるように努めていきたい。

 

僕はもう、「こんなに苦しいのになぜ生きなければならないのか」と生きる意味を問うことはやめた。なぜなら、僕よりも悲惨な人生を生きている人などいくらでもいるからだ。

そう、例えばアウシュヴィッツに強制収容されていた人たち。

彼らの中で生き延びることができた人がいたのは、生きる意味を問うのではなく、人生に問われているのだという発想の転換により精神の充足を図ったからだ。

 

アウシュビッツのような、何もかも奪い尽くされ、筆舌に尽くしがたい苛酷な環境下において、人生に生きる意味を問うても、そこに意味を見出すことは難しい。だが苛酷な環境という人生が投げかけてくる問いに答えるために生きるという転換をすれば、苛酷な人生にも意味が生まれてくる。

誰からも愛されず、呪われながら生まれてきた人間にも意味があるのだ。

 

今、まさに人生が僕に問うてきているのだ。この人生が情け容赦なく浴びせかけてくるラインブロックという悲惨な現実に僕は答えなければならない。そのために僕は生きている。

 

希望は良いものだ。おそらく最上のものだ。そして、本当に良いものは永遠に無くならない。

オナ禁は僕の希望だ…。