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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

本当に人は1人では生きていけないのか?コンビニ人間と人間嫌いのルール

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「人間嫌い」のルール (PHP新書)

「人間嫌い」のルール (PHP新書)

「人はひとりでは生きていけない」。その言葉を錦の御旗に、表向きうまくやるのが「おとな」、できない人は病気と蔑む----他人を傷つけないという名目の下に、嘘やおもねりも正当化されるのが日本社会である。そんな「思いやり」の押しつけを「善意」と疑わない鈍感さ。「人間嫌い」は、そこに途方もない息苦しさを感じてしまう人なのだ。


人間が嫌いでたまらない人、よってひとりでいたい人も生きていける。
人間は大嫌いだが、1人で生きることも耐え難い、とつぶやいている人も生きていける。
自分がかわいくてたまらなく、他人に対して基本的に無関心な人も生きていける。
誰に対しても思いやりをもつことができない人、優しくできない人、誰をも心から愛することができない人も生きていける。

いや、生きていかねばならないのだ。

こんなことは当たり前なのに、現代日本においてなぜこういう人々は「生きていけない」と弱音を吐くのであろうか?
それは、彼らの前後左右にいる膨大な数の「善人」の仮面を被った悪人どもが「それでは生きていけない!」と四六時中彼らを脅迫するからなのだ。
ひとりで生きてはいけない、他人に対する思いやりをもたなくては生きていけない、強調性がなくては生きていけない、そんな自分勝手では生きていけない・・・という言葉を・・祝詞のように・・彼らの耳に吹込むからなのだ。
「人間嫌い」のルール (PHP新書) より抜粋


一言で「人間嫌い」と言っても、そこにはいろんなタイプがあるが、人間嫌いでも生きていけるように社会が寛容になればいい、というのはあまりに他力本願で何の解決にもならない。生きていくためには、ほとんどの人間は金を稼がねばならず、金を稼ぐためには組織に属さなくてはならない場合がほとんどなのだから。

義道は組織の中で人間嫌いが許されるための条件として、次の3つを挙げている。

(1)仕事ができること。
(2)勤勉であること。
(3)誠実であること。


芥川賞をとった「コンビニ人間」という作品の主人公、古倉恵子は36歳の独身で彼氏ができたことはなく、大学時代から18年間コンビニのアルバイトを続ける。幼少期は公園で死んでいた小鳥を「お父さんが好きだから焼き鳥にして食べよう」と母に頼んだり、ケンカを止めるのに突然スコップで殴ったりするなど、世の中の常識が分からない。そんな彼女が唯一自分が「普通」でいられる場所がコンビニだった。なぜならコンビニの業務には事細かにマニュアルがあり、それをトレースさえすればコンビニ店員として社会に受け入れられるからだ。
古倉は社会の風習が全く理解できないが、コンビニにおける売り場づくりやリサーチ力、接客に対する心構えもある。誰よりも熱心にコンビニ仕事に打ち込んでいる。
まさに先ほど挙げた3つの「仕事ができる」「勤勉である」「誠実である」の条件を満たしているのだ。古倉は明らかに「普通」ではないが、コンビニで働いているときは誰からも排斥されず、同僚から認められ、自分の居場所を作ることができたのだ。

だが、30代も半ばを過ぎ、年頃を越えた女性には厳しい眼差しが注がれてくる。2週間で14回も「結婚しないの?」と聞かれ、「なんでアルバイトなの?」「恋愛経験はあるの?」と問われ続ける。

「皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。私にはそれが迷惑だったし、傲慢で鬱陶しかった」


誠実に働いていても、周囲の人たちは勝手に主人公が悩んでいると決めつけたり、恋愛アドバイスを押し付けたりする。家族でさえも「早く治ってよ」と泣きすがり、彼女のありのままの姿は否定され続ける。義道の言う「善人の仮面を被った悪人ども」とはまさに彼らのことだろう。

コンビニ人間にはもう一人、白羽という新人バイトが登場する。35歳で交際経験のない独身。いつかIT起業するというが口だけで、主人公の生き方を「自分が恥ずかしくないんですか?」などと否定する。だが実は彼も、社会が求める「普通」になれないことに異常なコンプレックスを抱えている。古倉との違いは、コンビニ店員として、義道の挙げる3つの人間嫌いのルールを満たしていないという点である。だから、彼はコンビニでも居場所を作ることはできなかった。


「人間嫌い」が人間社会で生きていくために、人間を好きになる必要はない。ただし人間嫌いが人間のいる社会で生きていくためには、仕事ができて、勤勉で、誠実でなければならない。それが人間嫌いが1人で生き延びるためのルールだ。


コンビニ人間

コンビニ人間