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愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

人はお金の価値を合理的に判断していない

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「あぶく銭」という言葉があります。正当な労働によらず苦労なしにせしめたお金のことで、ギャンブルや宝くじで得たお金や落し物を届けた礼金などがそれに当たります。

そうしたあぶく銭を握ったとき、人は日頃の倹約精神をかなぐり捨てて無駄遣いに走ります。
しかし、あらためて考えてみえれば、これは非合理的な金銭感覚です。なにしろ、お金そのものにはなんの区別もないのですから。

同じ1万円の損失でも、人は堅実の範囲内と思ったり、バカバカしい浪費だと思ったりします。
その感覚は働いて得たお金はケチケチと使い、あぶく銭はパーッと使うというメリハリと同じ心理です。
つまり、損失の金額が同じでも、人はケースによってその損失を許容できたりできなかったりするのです。
こうした奇妙な金銭感覚を、経済学者のリチャード・セイラーは「心の会計」と名づけました。
合理的金銭感覚とは正反対の情緒的金銭感覚といった意味です。

この「心の会計」は、伝統的経済学ではナンセンスだと見なされてきました。
お金とは、あくまでもモノやサービスとの代替の手段なのであって、お金によって価値の区別があるわけではありません。
また、ギャンブルで儲けた1万円と働いて得た1万円に、価値の違いがあるはずはないという経済学の基本理論からすれば「心の会計」が非合理のきわみと見なされることはいかにも納得できます。

しかし、その非合理もまた、ひとつの現実であり人間の巧まざる知恵なのだともいえます。

なにが贅沢でなにが堅実なのか、どこからが浪費で、どこまでが倹約の範囲内なのか。そんな線引きを、日々コンピュータの会計ソフトのような正確さで行っていたら、誰でも頭がおかしくなってしまいます。
そんな心のシステムダウンを回避するために、人は情緒的な損得勘定によってアバウトに経済生活を送っているともいえるからです。

もちろん、そういうやり方が時には「みすみす損をする」ことになることも承知の上で、です。