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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

オフ会に参加するブロガーは例外なく腐る

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まあ、そりゃそうだよねっていう話。


オフ会みたいなもんに参加してたら本当に心から書きたいことが書けなくなる。

「自分はそんなことない」「自分は好きなように書いている」。そう主張するかもしれないけど、知らず知らずのうちにどこかセーブしてしまっていたり、他のブロガーに気を使ったりしてると思う。

少なくとも、一緒にオフ会に参加したブロガーに対して「おめえ、それは違うだろ?」って感じたことでも言及とかできなくなるわけですよ。

そうなっちゃうと、だんだん当たり障りのないことしか書けなくなってくる。結果つまんなくなる。腐る。

そもそもブログって本来もっとこう、自分の内面を綴るものだったはずなんだよ。
知り合いに見られたらリアルで喧嘩になってもおかしくない、いや、喧嘩になるくらいならまだ良くて完全に見損なわれて他人扱いまでランクが下がってもおかしくない、そういう常に裸であるべき場所だったはずなんだよ。

全裸で阿保面。奇声。そういった突発的衝動にギリギリ他人の理解できるレベルまで社会性を与えて、一言一言自分の言葉で、重みを感じながら意味のある言語で綴る。そんな雰囲気がいいんじゃねえか。


そういえばこの前ハルキ・ムラカミという作家が本質的なことを言っていた。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立ちます。
そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。

もし、小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?

私が小説を書く理由は、ただひとつです。
個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。
我々の魂がシステムに絡め取られ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役割です。私はそう信じています。

「卵」とは個人であり「壁」とは組織やシステムのことだ。

僕たちブロガーは本来「卵」であるはずなのに、卵が輝ける場所、それこそがブログであるはずなのになんでわざわざお互いの糞みたいなブログを褒め合って、馴れ合って、仲良しこよしでくだらない政治を働かせて、「壁」側に立つようなことするんだよ。


オフ会に参加するブロガーは例外なく腐る。なぜならオフ会に参加することが壁の側に立つことに等しいからだ。