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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

炎上ってそんなに恐ろしいか?

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炎上するのが恐いという人がいるが何を恐れているのかよく理解できない。

僕はどちらかというとメンタルが弱く、決して打たれ強いほうではないが、炎上することを特別恐いと思ったことがないからだ。

実名でブログを書いているならともかく、匿名であれば炎上したところで現実世界で実害に及んだりすることってまずない。

炎上しても「また、バカどもがなんか騒いどるわい」という程度のものだ。
それ以上でもそれ以下でもなく、良いも悪いもない。

インターネットは広いようでとても狭い世界で、どこの馬の骨かもわからん一個人のブログが炎上したことなんて、世間にとってはどうでもいいことだし、仮に大炎上したとしても、そんなのは一過性のものでしかなくて、すぐに忘れ去られてしまう。

それに自分の信念を持って発した記事であればたとえ炎上したとしても傷ついたりはしないだろう。
考えは皆それぞれ違うのだから、自分の考えと合わない人から批判されるのはある程度仕方のないことだ。
それすらも認められないというのなら、そもそもなんで不特定多数の人間に読まれるブログなんかをやっているのかが理解できない。


どんな罵詈雑言を浴びせられようともそんなものはただの「言葉」でしかない。

「言葉」はどこまで言っても言葉でしかない。

「ペンは剣より強し」という言葉があるが、直接人を殺すことができるのはやはりペンではなく剣なのだ。

例えば、あなたがサウジアラビア語で誹謗中傷されたとしよう。特に何も思わないはずだ。
わけのわからない言語に対していちいち傷ついたりしないはずだ。
「なんか騒いどるわい」という程度のものだろう。

逆に日本語のわからないサウジアラビア人に対して、日本語で誹謗中傷したとしても、「なんか島国の猿どもがわけのわからんこと言っておるなあ」としか思わないだろう。

つまり言葉に人を傷つける力などない。あたかもその言葉に人を傷つける力があるかのごとく意味解釈するから傷いているに過ぎない。

我々人間は言語空間に支配されて生きている。
赤信号で車が止まるのは赤色だからではない。「赤信号は止まれ」と言語によって書かれた法律があるから止まるのだ。
ほとんどの人は自分たちの日常生活が言語に支配されていることに気づいていない。

だからこそ、なんの実体もない言葉にいちいち過敏に反応し、あたかも実体があるかのように錯覚し、ただの言葉の集合体に過ぎない炎上を恐れるようになるのだ。