クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

ピーブイ脳の恐怖

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「ページビュー数を増やすには、質より量が大事。量はやがて質に転化する」。そんな主張をするブログを見かけたのは1度や2度ではない。

僕は彼らのこうした主張に対してずっと違和感を感じ続けていた。

どれだけ大量のうんこを集めたところで、巨大なうんこが出来上がるだけで、それが急にダイアモンドに変わるわけでもない。圧倒的な量のうんこはうんこでしかない。なぜ彼らはこんな単純明快なことが分からないのかずっと疑問だった。

むろん、彼らの言いたいことが分からないわけではない。書き手がどれだけ質にこだわったところで、その良し悪しを判断するのは結局のところ読者であり、何をもってして質が良いか悪いかを決めるのは漠然としていて難しいところがある。それに比べて「量」というのは「数」としてカウントできるので分かりやすい。「質」を数値化することは難しいけれど、記事の量は簡単に数値化することができる。

記事数にものをいわせた戦略が功を奏して、「今月は何万PV達成しました」、「目標は〇カ月でウン万PVです」と彼らはブログで報告する。
たしかに「記事数」が多ければロングテールでPVが増える。それは事実である。

戦略として正しいという主張が分からないではないが、僕はこの違和感をずっと払拭できないでいた。
この違和感の正体は一体なんなのだろうか。

おそらくこの違和感の正体は、彼らが読者を意思を持った1人の人間として見ていないところにあるのだと思う。

何百万ページビューあろうと、訪れた一人一人がその記事に対して、何を感じたかをうかがい知ることはできない。
極端な話、100万PVあったとしても、訪れたすべての人が「なんやこのクソ記事」と考える可能性もあるということである。

それなのに、そうした一人一人の感情の存在を全く無視して、「ページビュー」という単なる数だけを物差しに嬉々としてブログで公表することができるのは、訪れた人たちを単なる「数字」でしか捉えていないからだ。

だが、それらブログに訪れた数字を示す一つ一つは、意思や感情を持った1人の人間なのだ。かけがえのない個人なのである。

彼らに、そうした繊細な想像力が一滴でもあれば、「PVが重要な指標」など、ましてや「質より量が充実していることが大事」などとなんの恥ずかしげもなく嬉々として語ることなどできるはずがない。
とんだ恥知らずである。
「この程度の記事しか書けませんが、なるべく良質な記事を書けるよう頑張ります」と言うのならまだ素直だ。だが、最初から己の無力さを棚に上げて「まずは質より量」と開きなおるとは何事か。
そこには、読む人間の意思など関係なく、とにかく数さえ集めればいいという怠惰で愚鈍な精神が横たわっている。

一言で言えば、彼らは心の奥底で読者をなめているのである。馬鹿にしているのである。
少なくとも、読者を「人間」だとは思っていない。
あわよくば広告を踏んでくれる金づるくらいにしか思っていない。
全くもって舐め腐っているのである。

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