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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

もうマグナキッドとは言わせない

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このたび、普通自動二輪の免許を取得した。

生が極まって独楽の澄むような静謐。いわば死に似た静謐ととなり合わせに。


人は死があるからこそ、生に意味を見出す。
つまるところ生とは「動く」ことであり、死とは「止まる」ことである。だが本当の生とは死のように静かなものなのかもしれない。

ほとんどの日本人は普段、生を実感することはないだろう。なぜなら死とは遥か遠く先にある無縁のものだと考えているからだ。皮肉なことに死がとなり合わせだからこそ、人は生を実感することができるともいえる。
二輪車は四輪車に比べ、体が覆われていない分、遥かに危険な乗り物である。事故が死に直結しやすい。常に死がとなり合わせにある。これほど自己責任が問われる乗り物でありながら、それでも乗る人間が後を絶たない。そこには二輪車にしかない魅力があるのだろう。それが僕を教習所に足を運ばせた理由である。

実感としてあまり厳しい教習所じゃなかったので、これといって補習などもかからず、卒業検定も一回で受かったのだけれど、結局免許取得までに3か月くらいかかった。
ちょうど高校生が免許を取得する繁忙期に申し込んでしまったため、なかなか教習予約が取れなかったことが最大の理由で、1週間乗れないなんてのはザラだった。ただこれは教習所にいる指導員の数などにもよると思うので、学生や他の教習所であればもっとスムーズに予約が取れたのかもしれない。

やはり卒業検定は緊張した。検定に落ちたら、安くない補習料と検定料を払わねばならない。そしてなにより、またこの長い説明を聞かなければならないと思うと絶対に落ちたくないと思った。そうした想いがまた緊張に拍車をかけた。
ここ最近、あまり緊張をすることが無かったので、懐かしいものを感じたのも確かである。生きていることを実感するには時にはこうした緊張も必要なのかもしれない。

課題の中でスラロームが一番苦手だったので、接触しないようにゆっくり通過したつもりだったけど特に問題なかったらしい。やはり教習所の採点は甘いのだろうか。これから検定を受ける人に参考になるかわからないけど、パイロンに当てたり、一本橋で落ちて検定中止になるくらいなら、時間制限はあまり気にせず、無理せずに通過したほうがいいのではないかと感じた。

購入するバイクはまだ決めかねている。教習車に乗ってみて、やっぱネイキッドがいいかな、と漠然と考えている。1つ言えることはマグナとはバイバイしなければならないということ。教習をスムーズに終えることができたのは、マグナでギアチェンジに慣れていたことが大きかったのではないかと思っている。ありがとうマグナ。二輪の楽しさを教えてくれたマグナ。さよならマグナ。