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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

選択肢の少ない人生は不幸か

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dennou-kurage.hatenablog.com



誰かが言った。「いくら選択肢が多くても、最後に選べるのは一つじゃん」。確かにその通りだと思った。

選択肢が無限にあると、思考が麻痺してかえって消耗してしまうことがある。あまりに選択肢が多すぎると人は混乱してしまうのだ。「自分にはこれしかない」と思えるものが既に見つかっている人生ほど気楽で幸福なものはない。皆、それが無い。故に多くの選択肢を確保したがる。

例えば「さいてょ」という野球選手がいる。高校卒業時、さいてょにはたくさんの選択肢があった。大学に進学したり、政治家を目指してみたり、教員を目指してみたり、アナウンサーを目指してみたり、もちろん高卒でプロに進むことも可能だった。それこそ玉虫色の選択肢が目の前に広がっていた。だが、魅力的な選択肢があまりに多すぎたため、プロ野球選手としては中途半端な存在となってしまった。選択肢があまりに多すぎるが故に、突き抜けられなかったのだ。その結果、ビッグになることも、カイエンも青山の土地も手に入れることができなかった。

そして、多すぎた選択肢は、過去の自分の選択を責めたてる。「もし、高卒でプロ入りしていれば・・」「もし、プロ野球選手になんかならず就職していれば・・」

無論、考えたところで結果論なので答えなど出ないのだが、選択肢があったことによる悩み、苦しみ、絶望がそこにはある。自分の選択をふり返り、別の選択をすれば良かったと思うと、後悔につながってしまう。それはこれ以上ないほど辛いことである。

選択肢が多かろうと少なかろうと、人生とは例外なく不完全なものである。

選択肢をたくさん確保することは本当に大切なのだろうか。本当に大切なのはその選択をして仮に失敗したり不遇に見舞われたとしても後悔しない矜持を持つことではないだろうか。

そうでなければ、どこに所属していたとしても常に無数の選択肢を意識したまま、何事にも心の底から打ち込めず、心に伽藍堂を抱えながら生き続けることになる。