読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

自分が遺伝子の乗り物でしかないなんて知りたくなかった

スポンサーリンク

遺伝子を次世代に引き継ぐことを盲目的に善とすることを塵ほども疑わない善良な人々。彼らはたとえ自分自身が死んだとしても、次の世代に遺伝子を引き継ぐことに存在価値があると心の底から信じている。

しかし「自分は死んでも、自分の遺伝子は子供に引き継がれる」という見解は厳密には間違っている。

なぜなら「遺伝子が我々の複製をつくるためにある」のではなく「我々が遺伝子の複製をつくるためにある」からだ。

人の遺伝子は、ランダムにかき混ぜられ、その上、子供には二分の一しか伝わらない。この度合いは、孫には四分の一、ひ孫には八分の一といったように徐々に薄まっていく。ある人から5世代後にもなると、その人の遺伝子と重なるのは32分の1にすぎなくなるから、もはや共通点があるかどうかを見極めることすら困難になる。我々の遺伝子自体は不死身かもしれないが、特定の個人を形成する遺伝子は崩れ去る運命にある。エリザベス二世は、ウィリアム一世の直系の子孫だが、彼女がいにしえの大王の遺伝子を一つも持ち合わせていない可能性は大いにある。繁殖という過程の中に不死を求めても虚しいだけだ。

引き継がれるのは「利己的な遺伝子」で「自分の遺伝子」といえるものは、どんどん薄まっていくばかりである。遺伝子を引き継いだところで、自分が生きた証など残りはしない。所詮我々は子孫からは消え去る運命なのだ。