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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

キヨハラに必要だったもの

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キヨハラに必要だったもの。それは50億以上の金でも、ホームランを量産できる肉体でも、仲の良いチームメイトでも、面倒見のいい奥さんでも、厳しい指導者でも、過酷な練習でも、ましてや薬物なんかでもない。キヨハラに本当に必要だったもの。それは文学であり、「物語」だったんだ。キヨハラは文学以外の全てを持っていた。名声、金、家族。その全てを手に入れた。だが、キヨハラには文学だけがなかった。そのために名声、金、家族、その他諸々の全てを失ってしまった。

時は2009年。イチローはWBC決勝戦でイム・チャンヨンから決勝打を打ったとき、気持ち良すぎてほぼイキかけたという。

眩いばかりの輝かしい成績により甲子園における無二の英雄となり、プロになってからも大声援の中、数々のホームランを放ち、それによって得た金で贅沢の限りを尽くしてきたキヨハラにとって、残された人生でそれらを上回るような快楽はそう多くなかった。ほとんどなかったと言ってもよい。ある、一つの選択肢を除いては。

脳は既に快楽によって焼かれていた。まだ満ち足りない。もっと何かあるはず。まだ何かあるはず。こんなもんじゃないはず。でも、無かった。どんなものにも必ず終わりがやってくるのだ。

1人の人間が何度人生をやり直しても味わえいなほどの快楽を享受しつづけてきたキヨハラにとって、それは並大抵の人間には想像だにできない絶望だった。

キヨハラには切り替えが必要だった。切り替えるためにはそれまでの自分の人生とは全く異質な「物語」が必要だった。だが、それができるだけの「物語」をキヨハラは持っていなかった。故にキヨハラは上を目指すしかなかった。ただひたすらにその快楽の頂を目指すしかなかった。

物語だけが救いだった。文学だけが救いだった。だが、皮肉なことにこれまでのキヨハラの人生にそれらは全くもって不要なものでしかなかった。無縁なものだった。そんなものが存在することすら知らなかった。ホームランを打った時の感触に比べればそんなものはクソの役にも立たない汚物も同然だった。ゴミ同然だったのだ。

だからこそ僕は、はっきり言うんだ。物語が、物語だけがキヨハラにとって、その人生に残されたたった一つの唯一の救いであり希望だったし、今もそれはなんら変わっていない。