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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

思考停止することで見えてくるものもある

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どうも僕はこの歳になって状況に応じて「思考停止」することはさほど悪くないんじゃないかという気がしてきたのである。というのは、良くも悪くも「人生こんなもんか」という諦観が芽生えてきたからだ。

人間が一生のうちに享受できる快楽には限りがあるし、その快楽でさえやがて飽きてしまう。結局人生って現実で物理的に起きている物事を脳がどう解釈するかでしかなくて、それ以上でもそれ以下でもない。思考停止はダメとか言ってる人は人生に期待しすぎなんだと思う。

だけど自分が今生きている人生という臨場感は絶対的なので、「自分で何かを考える」ということ、その上で何かを決めるということが物凄く価値のあることのように思えてしまうんだ。

でもさ、客観的に見たらそんなの大したものでもなんでもないんだよ。事実多くの人は他人の人生なんてどうでもいいと思ってる。それは他人ではなく、自分の人生にのみ臨場感があるから。
自分で考えて決断することなんて他人から見たら、物理的にはそこら中にありふれていてどうでもいいことなんだよ。

けいろーさんみたいな人たちってまるで思考停止しないことが人間としての至上の価値だと信じているふしがあるんだけど、何かを考えたからといってそれだけで物理的に何か変わるわけではないし、解決されるわけでもない。

そもそもその「思考」ってのがまったくもってとんちんかんなこともあるし、その思考の材料は結局は本とかネットとかで仕入れた情報なんかがベースになっていて、自分で何か考えている気になっているだけで、情報のパッチワークでしかないこともある。既に、いつか、誰かが、どこかで考えていたようなことの焼き直しを、頭の中で反芻しているだけに過ぎないんだ。その程度のものでしかない。大したものじゃないんだ。

究極的には、思考停止はよくないという思考停止に絡めとられているともいえる。
結局けいろーさんのいう「思考」とは「Aという考え方とBという考え方があって、どちらに偏りすぎてもよくない。いろんな価値観を尊重しよう」にとどまっていてその域を出ていない。


すぐに仕事を辞めてしまう人というのは思考にこだわるあまり、自我が肥大化しすぎた人なのだと思う。別にそれが悪いとは思わないけれど、やはり仕事は続かないだろう。やるべきことよりも自我を優先してしまうから。

けいろーさんは「自分を殺してまで」と言うけれど、他人に雇われて働くということはその時間は自分が殺されて当たり前なのだ。「自分を殺して働く」というのは駄目なことでも悪いことでもない。でも自我が肥大化しすぎると、それがまるでいけないことのように思えてくる。それだけ自分の人生というのは臨場感がある。でも「社会に殺される自分」なんてそんな後生大事にするような大したものじゃないんだよ。

確かに思考停止することの弊害もあるのかもしれないが、世の中にはあえて考えることをやめて続けることで見えてくるものもあるのではないかと、最近思っている。