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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

クソログのボコボコ相談室のはじまりはじまり

クソログのボコボコ相談室
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イケダハヤトさんは「イケハヤ相談小屋」というQ&Aコーナーをブログで設けているのですが、イケダハヤトさんが受けている相談の内容を僕が勝手に答えていくという新コーナーを設けたいと思います。その名も「クソログのボコボコ相談室」です。

では早速質問にこたえていきましょう。

「情熱をもって生きるためには、どうすればよいですか?」

イケダさんのように情熱をもって生きるためには、どうすればよいですか?ニート→会社員→どうにも嫌になり約1年で退職→現在再びニートで就活中ですが、身が入りません。何事にも情熱をもてず、自分のやりたいことを真剣に考えてこなかった結果だと後悔しています。同時に、状況や心境を変えたいとも思っています。何かアドバイスをいただけないでしょうか?


情熱をもって生きたいということですが、その感覚よくわかります。今の日本はただ生きるために生きることは当たり前になってしまっており、ただ生きているだけではどうも倦怠感のようなものを感じるのではないでしょうか。
ですが、世の中の大半の人は、自分の仕事に情熱を持って取り組んでいるわけではありません。もちろん情熱を持っている人もいますが、ごくごく一部の人たちだけです。社会は僕たちに情熱を持たせるために存在しているわけではありません。ですが全く同じ環境でも情熱を持って生きることができる人もいればそうでない人もいます。つまり、情熱をもって生きることができるかどうかというのは個人の問題なのです。
だから外部の環境に依存しすぎても情熱的に生きるのは難しいのではないかと思います。
決して、情熱を持って生きることを諦めろと言いたいのではありません。情熱的に生きたいというのはそれだけ高い要求だということです。中には完全に仕事は仕事だと割り切り、それ以外のことに情熱を注いでいる人もいるでしょう。

また、僕は情熱というのは真剣に考えたから見つかるものでも湧き出てくるものでもないと考えています。例えばイチロー選手の親がもし幼少期に野球をやらせていなかったらイチロー選手はプロ野球選手にはなれなかったことでしょう。一見情熱的に生きているように見える人でも、きっかけは「親のすすめ」とか「なんとなく楽しそうだからやってみた」ということが多いものです。つまり情熱というのは実際に「やってみて」その過程の中で生まれてくるものではないかと僕は考えています。

人の適正や興味関心は様々です。「やってみて」も情熱が持てないこともあるでしょう。質問者さんは一度就職してやってみたけど情熱が持てなかったということですが、その仕事に対してどうしても情熱が持てないということが分かっただけでも収穫だと思います。先述したように世の中には情熱が持てない仕事だとわかりつつも続けている人がたくさんいます。あるいは、あまり情熱が持てないと感じつつも、続けていく中で情熱を見出していく人もいます。
とにかく情熱というのは立ち止まって考えているだけでも見つかるものでもないので、実際にやってみること、試行回数を増やすしかないというのが僕の意見です。