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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

武士道と云うは死ぬことと見つけたり

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どうしても、持たざる者が成り上がるシンデレラストーリーにフォーカスしたくなるのが人情である。
だが現実はどうだろう。
ビル・ゲイツもマーク・ザッカーバーグも裕福な家に生まれ、一度も貧困を経験することのないまま超富裕層になりましたとさ。
はい、論破の論破、論ぱっぱー。




いや、僕が言いたいのはそんなことじゃない。


金に執着した人生。

そうした生き残った命で何をやるのやら。

それが分からぬまま生きていたところでいったい何が何やら。

貨幣が価値を持つのは、誰もがそれを貨幣と信じて疑わないからだ。

1万円札に価値があるのは、特殊な紙やインキが使われているからではない。我々が、福沢諭吉の似顔絵が描かれた紙切れに1万円の価値があると信じているからに過ぎない。

現在では、銀行の預金通帳に打ち出された電子データが貨幣だと信じられている。
 
日本人が日本国を信用しなくなると、日本円という貨幣の価値が低下する。そして国民が「紙切れはしょせん紙切れに過ぎない」と気づいた時に、貨幣制度は崩壊する。幻想が剥がれてしまえば、1万円札もただのゴミと変わらない。

このようにして貨幣制度は人々の共同幻想によって支えられている。
貨幣にとらわれるのは、夢や幻にとらわれるのと同じだ。ヒトが一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいく自然を前にして、貨幣の多寡に何ほどの意味もない。

貨幣とはどこまでいっても価値と価値を媒介するものでしかない。
金で買える喜び、すなわち美しい服も、豪かな食事も、優雅な部屋も、全て他人が作りあげたものだ。それらに価値を感じぬ人にとって貨幣とは無用の長物でしかない。

ならば、と僕自身に問う。

金で買える欲しいものがあるのかと。
思い当たらない。正直、無い。


なにもいらない。
朝も昼も夜も納豆もヨーグルトも梅干もカマンベールもチェダーもギュネイもネイもダクールも夏の寒さも冬の暑さも捨てるコンタクトレンズも捨てないコンタクトレンズも学生証も美術館も消防署も図書館カードも銅像も物凄く効く頭痛薬も鼻紙も豪邸とか宮殿とかもブログを書いている最中に突然電源が切れて動かなくなるパーソナルコンピュータも光るスピアで殴りかかってくるノールの群れの最後の一匹のノールとか物凄く長い一本道でいきなり向かうから歩み寄ってきて光る弓でばきゅんばきゅんしてくるセントールも、剥こうとしたら目に飛び散るミカンの皮もコメントもトラックバックもピーブイもきんたまも恋も愛も友も夢も衣も食も住も目も耳も花も団子も朝も昼も夜もその他の諸々も全部いらない。
一握の砂もいらない。
なにもいらない。
全部、全部いらない。


新篇 葉隠 (タチバナ教養文庫)

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