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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

行動経済学で奨学金未返済者の奇行を読み解く

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奨学金未返済者デモを見るたびにいつも思うことがある。

彼らに対する「努力不足」といった批判は無意味であるし、まったくもってズレている。
理由は単純で、勉学に励んだ人間全てが報われるとは限らないからだ。

そんなことよりも奨学金制度の善悪はともかくとして、僕が彼らに対していつも思うのはただ一つ。「返さなくてはならないことを知ってて借りて進学したんだよね?」ってこと。

返さなくてもいいはずなのに返さなければならなくなったとかならわかるんだけど、あらかじめ返さなければならないことを知っていて、そのことに合意して借りたにも関わらず、いざ返済時期が来たときになってデモで「なぜ返さないといけないのか」といった主張をするのはあまりに馬鹿げている。

奨学金は体のいい借金?

オーケーオーケー。

でも、それ知ってて借りたんだよね?ってこと。

なぜこんな不思議なことが起こるのだろうか。

僕はここに人間心理の不思議が凝縮されているように思う。

人間の脳は、それが同じ金額であっても得するときの嬉しさよりも、損したときの悔しさの方がはるかに大きく感じるようにつくられている。これはノーベル経済学賞を受賞した行動経済学のダニエル・カーネマンによって発見された。

もし、今すぐ1万円が貰えるのと、1年後に1万円が貰えるのであれば、どちらが嬉しいだろうか。
おそらくほとんどの人が、今すぐ貰えたほうが嬉しいと答えるはずだ。
人間には、目の前の出来事を過大に評価し、将来の出来事を過小評価する傾向が普遍的に存在する。

狩猟採集の原始時代、目の前の獲物を即座に仕留めなければ、次はいつチャンスが巡ってくるか分からなかった。保存技術がなければ余分な食料は腐るだけだが、獲物を奪われることはたちまち餓死につながった。このような動物としての生存本能から、現在と未来、獲得と喪失とのあいだに心理的な歪が生じたのである。
人間の意思決定はこの歪みに強く支配されている。

今すぐ貰える1万円は1か月後の1万円よりはるかに価値が大きく、10年後の1万円はほぼ無価値に感じる。逆に今すぐ払わなければならない1万円は損失感が大きく、支払いが先に延びるほど関心を失っていく。目の前の現金の方が、将来の返済額よりもはるかに価値が高く感じるのだ。

すなわち、奨学金の返済は数年後の未来であり、奨学金を借りるときはそれを返さなければならないという実感が薄い。
加えて奨学金を借りることができる嬉しさよりも、返済するときの方が心理的な喪失感が大きい。
だから彼らは奨学金を返さないといけないことを知っていながら、いざ返済時期が迫った途端、「返したくない・返さない」という主張をはじめるのである。
これは奨学金に関わらず一時の快楽のために高利の金を借りてしまう人にも共通することである。

彼らの、一見道理の合わない馬鹿げた主張は行動経済学によって説明できるのだ。



「借金」というとなにかと忌避されがちであるが、借金にも良い借金と悪い借金がある。
借金をうまく使いこなすことができれば人生を変えることができる。これは決して誇張ではない。

借金が解決してくれるのは「時間」という問題である。

例えば、マイホームを手にしている人の多くは借金をして購入していることだろう。もし借金をすることができなければ、数千万円というお金を貯めてから購入するわけだが、それでは貯蓄に膨大な時間がかかり、残されたわずかな人生でしかその家に住むことができない。
しかし、信用さえあれば借金をすることで、たとえキャッシュがなくてもすぐにでも住むことができる。

このようにして「借金」は時間という問題を解決してくれる。
「今」お金がなくても借金をすることで、タイムリーな時期に欲しい価値を手にすることができる。
今すぐ進学したい、今すぐ車が欲しい、今すぐ家に住みたい。今すぐ事業を興したい。でもお金がない。それらを借金は解決する。借金とは時間を買う行為なのである。

では奨学金という名の借金はどうだろうか。これはもちろん良い借金である。本来、経済的な理由で諦めなければならなかったはずの適切な時期での進学を、他よりはるかに安い金利で実現することができるのだから。
もし、奨学金制度が無ければ進学するという選択肢すらないのだ。

包丁を使えばおいしい料理を作ることもできるし、人を殺めることもできる。借金もそれと同じだ。
借金によって人生が好転するか暗転するかというのは結局のところ本人次第であり結果論でしかない。