読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

どんなに自分を探しても自分は見つからない

スポンサーリンク

f:id:lets0720:20150404134537j:plain


toyokeizai.net



どれだけ「自分探し」をしても残念ながら本当の自分は見つかりません。

なぜでしょうか。

一般的に、「数学的に証明されたこと」については、もう議論の余地はないとされています。どんなに年月が経とうと、反論されることもなければ、科学理論のように、より優れた理論にとって代わられることもなく、善悪も、主義主張も関係なく、どんな人間が言ったとしても、数学的に証明されたことは常に正しいとされています。
だからこそ、数学を基盤にして、証明を積み重ねていけば、いつかは世界の全ての問題を解決できる一つの理論体系、「世界の真理」に到達できるのではないかと信じられていました。

しかし、1930年ごろ、ゲーデルという学者は、数学理論は不完全であり、決して完全にはなりえないことを数学的に証明してしまいました。

ゲーデルの不完全性定理は以下のようなものでした。

1)第1不完全性定理:ある矛盾のない理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する

2)第2不完全性定理:ある理論体系に矛盾がないとしても、その理論体系は自分自身に矛盾がないことを、その理論体系の中で証明できない

数式だと伝わりにくいと思いますので、要点を簡単に説明すると、例えば、僕が「僕は嘘つきだ」と言ったとします。もしこの言葉が「真実」であれば、僕は「嘘つきである」ことになりますが、そうすると「嘘つきなのに、真実を言った」ことになってしまい矛盾してしまいます。一方で、この言葉が「嘘」だとすれば、僕は「正直者である」ということになりますが、そうすると、「正直者なのに、嘘を言った」ことになってしまい、これまた矛盾してしまいます。

結局、僕の言葉が真実でも、嘘でも、矛盾してしまうのです。
これは、自分自身について真偽を確かめようとするときに発生してしまうパラドックスであることから、「自己言及のパラドックス」といわれています。

また、「僕は正直者だ」と言った場合でも、同じです。まず、この言葉が「真実」だった場合、正直者が「自分は正直者だ」と言ったことになるので、問題なく成り立つわけですが、この言葉が「嘘」だった場合でも、嘘つきが「自分は正直者だ」と言ったことになるので、これまた問題なく成り立ってしまいます。つまり、「僕は正直者だ」という命題は、真でも偽でも、どちらでも成り立ってしまい、結局、真とも偽とも決められないのです。
要するに、「僕は正直者なんです」と、自分で自分のことを言及したところで、その言葉の正しさを絶対に証明できないという話です。

このような自己言及のパラドックスが、数学においても同様に発生することが証明され、すなわち数学理論において、証明も反証も不可能な命題が含まれていることを示しています。(第1定理)

そして、数学理論において、証明不能な命題を含むということは、自らの体系が正しいと証明することが不可能であるということが導かれます。(第2定理)

このゲーデルの不完全性定理がすごいのは、数学のみならず、理論体系一般すべてに適用できるところです。哲学、科学、法律はもちろん、「自分探し」もその例外ではありません。
そのため、「論理的に突き詰め、矛盾を解消していけば、いつかは真理に到達できると信じていた人々」に大きな衝撃を与えました。

不完全性定理は述べます。
「どんな理論体系にも、証明不可能なパラドックスが必ず存在する。それは、その理論体系に矛盾がないことを、その理論体系の中で決して証明できないということであり、おのれ自身で完結する理論体系はありえない」、と。

我々人間が理性によって作り出した理論体系が真理に到達すること、すなわち自分で自分を探すという行為が真理に到達することは決してないのです。

この世界にたしかなものなどなにもありません。だからこそ、「生きている」って面白いのかもしれません。