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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

文章は才能

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様々な文章作法が書かれたブログや文章術の本などを見かけることがあるが、つまるところ文章が書けるかどうかというのは才能があるかどうかに尽きる。

職業小説家として生活している人のほとんどは、文章術の本を読んで文章を学んだり、文章教室に通って、誰かに小説の書き方を教わったりしたわけではない。
そう、文章を書くには才能が不可欠なのだ。

残念ながら、文章を書くセンスや言語感覚が無い人間はどれだけ訓練しても上達が見込めない。これは文章に限ったことではなく、適正に欠けた能力は訓練や学習ではほとんど向上しないのである。

例えばイケダハヤトというブロガーがいる。

まだ東京で消耗してるの?

彼は、書くことが自分のライフワーク、使命だと捉え、もう何年もブログを書き続けているが、その実力は何も変わっていない。確かに記事の数が増えるにしたがって、ページビューは増え、金は稼げるようになったのかもしれない。

だが、文章が上手くなったかどうかという一点だけを見れば、全く上手くなっていない。
おそらくあのままニュース記事の域を出ないものを延々と何十年と書き続けて、死ぬまでブログを書き続けたとしても、その実力は何も変わらないまま、やがて忘れ去られていくのだろう。

煩わしい会社を辞め、毎日大量の本を読み、ブログ一本で文章を書くことに全てのリソースを注いだとしても、この程度なのである。

それは彼の努力が足りないからではない。才能が無いからである。文章を書く才能が無いからである。
彼の文章がいつまで経っても上達しないのは、文章を書く適正や資質に欠けており、訓練はなんの意味も持たないからである。

文章は才能であり、努力に意味は無い。やってもできないのに努力することは、単なる時間の無駄にとどまらず、ほとんどの場合、有害ですらある。