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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

人の悪口やネガティブなことは絶対書かないという欺瞞

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鈴木です。

ぐるりみち。

らふらく^^ ~ブログで飯を食う~ | ブログで稼ぎ生活しているゆとりブロガーがその方法を発信するブログ。好きな事で飯を食うモデルになっている。


人は誰しもが皆、よい人生を送りたいと思う。
苦悩から遠く離れ、健やかな日常を過ごしたいと思うのである。
素晴らしさを称えられたいと思うし、美しさを褒められたいと思うものなのである。

それは当たり前の事なのである。
しかし、その当たり前の事を、間違った風に理解している人間が幾らか存在しているのが2014年の極寒の12月でありこれは由々しき事態である。



ネガティブな感情が真実や本当の姿を押し殺しかき消してしまう事以上に、好都合な他人は本当の自分を完膚なきまでに破壊してしまう。乗せられ、おだてられ、乗せ返し、おだてかえし、ぼんやりとした春の柔らかな日差しの中で本物の心は死ぬのだ。沈黙し、やがて死に、その死にカスすらいずれ消え去るのだ。

そう。
そうなのである。
誰かを褒め称え、その素晴らしさを賞賛する事は、自らを褒め称え、自らの素晴らしさを賞賛する事に他ならない。「自分で自分を褒める」というのは極めて困難な作居だ。何故ならば、地球上全人類の人々は、自らの汚さや自らの醜さについて、他の誰よりも詳しく知っているからだ。

僕という人間は、醜さも、汚さも、邪さも臆病さも、それら全てを包括しているからこそ僕自身なのであり、例えば僕が自らの醜さ汚さ邪さ臆病さといった所謂ネガティブさを全て完全に忘れ去り存在しないものとして扱い生きたとしたならば、それはもはや僕自身とは呼べぬ代物なのである。

同じように、全ての地上に存在する全てものは、醜さも、汚さも、邪さも臆病さも、それら全てのものを含めて世界なのであり、それら、あらゆる汚点を見過ごし、忘れ、素晴らしさのみに視線を向けて、美しき世を美しく生きるなどは、言語道断の所業なのである。

お互いの良い所を褒め称え、お互いの良い所を見、お互いに決して触れられたくない箇所には決して触れず、暗黙のルールの中で、お互いの良い所を褒め称え、お互いの良い所を見、お互いに決して触れられたくない箇所には決して触れず、全てが丸く治まり、本音はなく、それどころか嘘すらなく、軽薄な好感の交換のみで円滑に進んでいく人と人との関係などというものは、うんざりごめんのである。笑顔と笑顔で回る世界などうんざりごめんなのである。

誰にだって思い出したくない過去があるし、誰にだって思い出したくない汚点がある。消してしまいたい過去があり、消してしまいたい記憶がある。それら、己の汚点というものを、第三者即ち世界から無かったものとして扱ってもらう為に、彼らは第三者即ち世界の汚点から目をそらし、美しさだけを摘み出して、褒め称えるのである。
もしも僕がこの地球上に存在する全ての汚点から目をそらし、それら全てを存在せぬものとして扱ったならば、世界もまた同じように僕の汚点から目をそらし、存在せぬものとして扱ってくれるだろう。
それが都合が良いものである事は確かだ。それが居心地の良い生き良い世界であるのは紛れも無い事実である。けれども、そのようなものを僕は決して受け入れはしないのである。
汚さを汚さとして、醜さを醜さとして扱い、全身全霊を注ぎ込み全てを尽くしてその汚さ醜さを語らねば、美しさがが美しさとして全身全霊を注ぎ込み死力を尽くして認められる日は来ないのである。


例えば、あなたがどこかで誰かに、その日つけていた香水の匂いを称えられ、褒められたとする。その際に、それを自ら己に対する賞賛であると受け止めては、決していけないのである。

それは、ただ単純に、香水の匂いが称えられ、褒められただけに過ぎないのである。幾らか譲歩し歩み寄ったとしても、その香水を身に着ける事の出切るだけの優雅な身分や、その香りを選択したセンスを褒められたにすぎず、人そのものを褒められたのでは決して無いのである。
ところが、世の人は、そういった表層のたまり醤油とはかけ離れた賞賛の声に耳を貸し、心奪われ、思わず笑みをもらし、幸福感に浸り、満足満悦ご満悦を謳歌してしまっているのである。

これは間違いである。誤りである。
敗北であり、死そのものである

そのようなくだらない賞賛は、賞賛などではない。
そのようなくだらない賛美は、賛美などではない。
それらは、偽意である。
偽者であり、偽りの世界である。真意とは、全ての汚点を汚点として扱い、全ての欠点を欠点として扱い、全ての醜さを醜さとして全力で非難し、全ての卑怯さを罵倒し、罵り、たったの1つ蟻一匹も見逃すこと無く糾弾し、否定し尽くした上で、その上で、素晴らしさを素晴らしさとして扱い称え、美しさを美しさとして扱い賛じた後に、前者の否定的な評価と後者の肯定的な評価を包括した上で、一心「好きだ」を貫き貫かれる事こそが、我々人類にとって真の救いであり、たどり着くべき境地であり、掴み取るべき未来なのである。

即ち、人間というものは、ブロガーというものは、テクニックとして、技法として、道具として他人を褒め、他人を賞賛し、他人を称え、他人を愛する生き物であるという事を、我々は知り肝に銘じておくべきである。エントリーの裏に巧妙に隠された真意を見抜くリテラシーというものを持つべきなのである。
彼らは、褒めと褒めとのネットワーク、即ち身内との馴れ合いに逃げ込み、他人を評価し褒め称える事によって受け取ったポジティブな評価で作り上げた権威を用いて暴利を貪るのである。