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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

仕事が「やりたいこと」である必要はない

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仕事とは端的に言うと、働いてお金を貰うことだと思う。

プロだからお金を貰うのではなくて、お金を貰うからこそプロなのだ。
給料としてお金を受け取った時点でその人はプロなのである。

例えば1000円払って自転車のパンク修理を依頼したとして、パンクが治ってなかったら労働者がどれだけ「頑張りました」と言っても、誰も納得しないだろう。
パンク修理をしてもらいたい人にとっては、労働者がその仕事に対してやりがいを感じているかどうかなんてどうでもいいことだ。

もっと極端な例であれば、お金を払ったのに自分の乗ったタクシーが交通事故を起こして大怪我でもすれば「頑張って働いたのに、ミスっちゃいました。ごめんなさい。」では済まないだろう。
お金を払う人が求めているのは距離に応じた金額で安全に目的地にまで連れて行ってくれることだけだ。

お金を受け取る以上は、労働力であれ商品であれ、それ相応の価値を提供しなければならない。
お金を払う側にとっては、労働者がその仕事が「やりたいこと」か「やりたくないこと」かなんてどうでもいい。
払ったお金に応じた価値を提供してくれればそれでいい。
これはお金を払う立場になれば簡単に分かることだ。

そういう意味では働くことは学生に比べるとシビアで、誤魔化しが効きにくい。
時給1000円貰うなら、1000円分の労働力を提供しなければならない。
少なくともそれが出来ない人間はプロではない。
良くも悪くも結果が全てだ。

学校では「出来ない人」にも様々な支援があるし、救済措置がある。
なぜか。

それは学生がお客様であり学校にお金を払っているからだ。
学校側はお金を貰っている以上、出来るだけのことはしてくれる。

だが、学校を卒業し、社会に出れば、それとは真逆のことをやらなければならない。
すなわちお金を貰ってそれに応じた価値を提供する側になるということである。

もちろん「やりたいこと」をして、かつ価値提供できていれば、それはまさしく天職だといえるのかもしれないが、「やりたいこと」と「価値提供」が結びついている人なんて稀だ。
天職につけるのは、一部の環境や能力や運に恵まれた人たちだけだ。

僕は仕事が「やりたいこと」である必要なんて無いと思う。
仕事は「自分が得意なこと・出来ること」をやればいい。

仮にその仕事が「やりたいこと」じゃなくても、自分の出来ることをして、給料に応じた価値が提供できれば、その仕事に誇りが持てるからだ。

「やりたいこと」は自分がお金を払ってやればいい。

一方で、どんなに「やりたいこと」を仕事にしていたとしても、給料に応じた価値を提供できなければ、その仕事に対して誇りを持つことは絶対にできない。