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クソログ

愛は、誰を救えるのだろうか?孤独という、あの深淵から……

強すぎる自己愛

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ブログの面倒くさい部分 - 凡夫じゆうちょう


このブログについて言及するのはおそらく最後になります。
自分がディスられることに関してはものすごく敏感なのに、他をさりげなくディスっていたりするので、このブログはそう遠くないうちに炎上するような気がします。
でも「だからなんだ」とも思うのです。

僕はブログを書くことにおいて、そもそも「炎上」という概念自体が希薄で、「炎上したから損をした」とか、「たくさんアクセスが集まってアフィリエイトで稼げたから得をした」、という枠組みでとらえていません。

僕がブログを続けるのは、「書くという行為そのもの」にある種のこだわりがあるからで、炎上して損をした、アクセスがたくさん集まったらから得をした、などといった損得勘定を超えたところにあります。だから外部からのコメントなどであまり一喜一憂したりしません。

損得勘定でブログを書くと、どうしても「炎上すると割りに合わない」とか、「労力の割にアクセスが集まらない」といったことばかりにとらわれてしまいます。
だから損得勘定でブログを書いている人はどうしても、途中で力尽きてしまいがちです。


しばしば「私は馬鹿だから」と前置きする人がいます。これは一種の防衛手段で、あらかじめ自分のことを「馬鹿」だと言っておくことで、馬鹿だと言われたときの心理的負担を軽減しようとしているか、あるいは相手から事細かに馬鹿だと言われないようにしているのです。

こうした人に本当に「馬鹿だ」というと何故か怒ります。自分で自分のことを「私は馬鹿だ」と言っているにも関わらずです。
それもそのはずで、本当は馬鹿だと言われたくないがために「私は馬鹿だから」と前置きしているに過ぎないからです。
つまり心底自分のことを「馬鹿だ」とは思っていないから馬鹿だと言われたときに腹を立てるわけですね。

同様にリンク先のブログ主が自分のことを「凡夫」だと言っているのもそういうことです。

凡夫という言葉の解釈はさておき、批判されたくないからあらかじめ自分のことを凡庸な人間、すなわち「凡夫」だと名乗るわけです。
だから同様に、批判されることに過剰に敏感になっています。

「私は「凡夫」なのだから、つまらないことを書いて当然。いちいち批判するな」という心理が透けて見えます。

自分を卑下し、謙遜するような自己紹介をしておきながら、実際に批判されると怒り狂う。
批判されたくないから、あらかじめ自分を貶める。
それは強すぎる自己愛のあらわれでもあります。

本来こうした人はブログよりもSNSの方が向いていると思います。
SNSなら自分にとって都合の悪いネガティブな情報はブログに比べて圧倒的に少ないからです。
批判的なコメントの少ない、ある意味で快適な場所だと思います。

価値観もイデオロギーも違う不特定多数の人に向けて情報発信をするのに、批判0というのは無理な話です。
自分では全く悪気がないつもりで書いたとしても、少数派の人の価値観やアイデンティティを脅かすようなことを書いてしまっていることだってあります。
そうなると自分の意図しないところで必ず批判は生まれます。

ブログを批判されることなど大したことではありません。
親の庇護を離れ、もう少し外で働くなどして社会経験を積まれることをおすすめします。

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